Ragout-Haus の紹介【ラグーの意味】

おばんでやす!ラグーハウスのまーみーです。
Ragout-Haus=ラグーハウス】はミートソースをベースにした料理の家をコンセプトにネーミングしました。我が家はみんな「ミートソース」が大好きだからブログの名前を考えたとき、「ミートソースとその家」にしよう!でも,もう少しオシャレにしたいな・・・と、おっと君に相談して「Ragout=ラグーはどう?」と提案してくれました。「それいいね!」こうして【Ragout-Haus=ラグーハウス】に決定です。ブログでは煮込み料理だけでなく、体調も回復できるスープ料理なども紹介していきたいな。もし将来、出店できたらなどなどと夢を抱き専門学校で西洋料理を専攻中で学んでいます。これからは料理、生活に役立つcare、を皆さんに紹介していきますね。
【Ragout‐Haus=ラグーハウス】をどうぞよろしくお願いします。

目次

Ragout【ラグー】って何?

ラグーとは料理の名称です。イタリア語で「ragu」フランス語で「ragout」のスペルで、読み方はどちらも「ラグー」といいます。イタリアの「ragu」はミートソースのこと。ナポリ料理のシンボルで煮込み料理の一つです。
フランスの「ragout」は煮込み料理のことです。肉や魚、野菜や薬草をじっくり煮込んで調理します。フランス料理のレシピに「ウサギのシチュー」「ウナギと鯉の煮込み」があります。イタリア、フランスとも【ラグー】とは【煮込み料理】のことを意味します。

イタリアの「ragu」

イタリアのラグー(ミートソース)はイタリア・ナポリ料理のシンボルで日曜日に家族全員で欠かさず食べていた料理です。玉ねぎと豚のばら肉をみじん切りにし、大きな鍋にオリーブオイル、マーガリン、ブイヨンを入れ、火にかける。弱火でマーガリンをかき混ぜながら溶かし、玉ねぎ、豚バラ肉のみじん切りと、糸で縛った豚ロース肉を鍋に入れ蓋をして水を入れて弱火で煮る。柔らかく煮えてきたら赤ワインを加え、時々かき混ぜる。玉ねぎがペースト状に溶け始めたら、トマトペーストを加え焦げないようにかき混ぜる。全体的に黒い色になるまで煮込み、焦げてない部分のソースを別の鍋に取り出し、なべ底に焦げて残った物にまた水とトマトペーストを加え煮る。これを繰り返し1時間煮る。豚ロース肉が柔らかくなったら取り出し、肉を取り出したあとのソースは残ったソースと合わせトローリとなるまで煮詰め塩で味付けする。煮詰めたソースにはパスタなど絡めパルメザンチーズをかけて食べる。豚ロースはスライスして食べる。

フランスの「ragout」

フランスのラグーは代表的なウサギのシチューを紹介します。ウサギの肉はAmazonから購入できます。
ベーコン、玉ねぎ、ウサギの肉はぶつ切りにする。鍋にバターを入れ溶かし、ベーコンのぶつ切りを炒め、表面が透明になったら玉ねぎを加え薄い焦げめがついたら鍋から取り出す。次に鍋にウサギの肉を入れ全体に焦げめが付いたら取り出す。鍋にバターを入れ溶けたら、小麦粉を加え全体に淡いきつね色になるまで炒め、白ワイン、ブイヨン、にんにく、ウサギの肉を加える。沸騰したらブーケガルニ、塩、コショウを加えアクを取り蓋をして、そのまま弱火で15分煮る。15分後、先に炒めたベーコンと玉ねぎを加え、ウサギの肉が柔らかくなるまで煮る。肉が柔らかくなったら、ブーケガルニを取り出し、塩コショウで味付けをする。盛り付けるときには、マスタードをまぶすようにかける。付け合わせにはジャガイモのソテーがあう。

ラグーの調理法は『世界の六大料理基本辞典』から抜粋したものです。分量、調理法の詳細が分からないため、私が実際に調理し今後ブログで紹介していきますね。

イタリアとフランス料理の関係

もともとフランス料理はイタリア料理が原点です。1533年にイタリア、フィレンツェの名門メディッチ家の娘、カトリーヌがフランス王アンリ2世に、その後マリアがアンリ4世に嫁いだことが関係しています。当時のフランスはイタリアから見ればあまり洗練された地域ではなく、カトリーヌやマリアは料理人も含めて多くの従者を同行して、シャトーの中では夜毎豪華な宴会が催されました。こうして16世紀からイタリア半島で発展した調理技術がフランスへ本格的に渡り、社交上もっとも重要なパーティーは毎夜、料理コンクールのようになり腕の良い料理人は美食に対する研究ができる環境にありました。こうしてイタリアからフランスに様々な料理法が導入されフランス料理はさらに発展していきました。

近年の著名なシェフ

オーギュスト・エスコフィエ
(Auguste Escoffier 1846-1935年)
 南フランスのニース郊外で生まれた。ニースからパリへ修業先を変えモンテカルロで活躍した彼は、ホテル王と呼ばれるセザール・リッツと出会ったことから彼の運命は大きく変わり、欧米各地のホテルで活躍し、その洗礼された料理でヨーロッパ中の人気を集めた。1912年、ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世のために客船上で腕を振るい”料理人の皇帝”と称された。

フェルナン・ポワン
(Femand Point 1897-1955年)
 北西フランスのノルマンディ地方で生まれ、パリやエヴィアンで料理修行をしていた。ローヌ川沿いの町ヴィエンヌで父親が開いたレストラン〈ラ・ピラミッド〉を1924年に次ぐこととなった。天才肌のポワンはエスコフィエが始めた料理を簡素化をさらに進め、素材そのものの風味を大切にした人物。人を楽しませたり、驚かせたりするのが大好きな性格は料理にも表れ、代表的な料理は「ひらめのシャンパーニュ風」

ポール・ボキューズ
(Paul Bocuse 1926-2018年)
リヨン郊外にある〈レストラン・ボキューズ=当時はテル・デュ・ボン〉の建物内で生まれた。ボキューズは兵役から帰って19歳ころからリヨン市内のレストランで働き始めた。23歳の時ポワンの店に行き、一時パリで修行を積むなどして最終的に〈ボキューズ〉に戻り、1959年より地元で手に入る新鮮な食材を愛し、その魅力を最大限に引き出して采配を振るった。その結果、1965年以降40年以上に渡ってミシュラン三ツ星を守り続けた。(M.O.F.)受賞者。世界最高峰の料理コンクール「ボキューズ・ドール」(Bocuse d’or)の創設者

M.O.F.は「Les Meilleurs Ouvriers de France:ル・メイヤー・ウヴリール・ド・フランス」の略。23歳以上の高度な技術を持つ職人の中からコンクールで選抜されるフランスでも非常に栄誉ある賞。

ナイフ、フォーク、スプーンの使い始めはいつ?

昔のヨーロッパ人たちは、肉をナイフで切り取り手で食べていました。フォークが登場したのは、料理時に食材を突き刺す器具が食卓で使われるようになったのが始まりと言われています。12世紀ごろから一部のイタリア人はすでにフォークを使って食事をしていました。16世紀に入りカトリーヌ・ド・メディチがフランスへ嫁いだときに持ち込んだのが、フランス料理でのフォーク使用の始まりと言われています。最初はフォークを使って食べるという行為は受け入れられなかったようですが、しだいに手を使うよりフォークを使った方が服が汚れないというメリットに気づき、ようやく浸透していきました。またスープはパンをひたして食べていましたが、ようやくスプーン、フォーク、ナイフを全て食卓に揃える風習が根付いたのは18世紀ごろになってからです。

まとめ

ラグーは西洋料理の田舎料理の名前で煮込み料理のことです。私の得意料理で家族みんなが大好きなミートソースをブログのネーミングに決めました。現在、調理専門学校で西洋料理を専攻しているので、家庭で簡単にできる西洋料理を紹介していきたいと思っています。将来的には店舗出店が夢ですが、それまでブログでの「Ragout-Haus」をよろしくお願いします。

参考文献
『世界の六大料理基本辞典』服部幸應 2021年2月20日4版発行 東京堂出版(株)

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